4/22 日記メモ

何か書かないといけないと思いながらも何もせずに過ごしている

そう思いながらどこか焦ってしまうのがますます精神によくないのだろうと思うことがまたよくないなどとぐるぐると頭をめぐるのだけどもいったい何をしているのだという気持ちが生まれ気がつくと昼になっている。

先月勤め先を辞めてから気がつくと5kgほど太っているのでこちらも焦って月曜日から昼ごはんをケール青汁のみで過ごしはじめて4日目。いいかげん無理な気がしてきたのだけども、水を飲んで誤魔化すなどして夕飯まで他のものを口に入れないようにした。

さてと気がつくとすでに午後2時を過ぎているので、スーパーに牛乳と安売りになってトマトジュースを会に出かける、店内に入って、いやパンぐらい食べるか、いやそれだとやはり意志薄弱な自分を認めることになる、いやでもいいのではと煩悶しながらも、見切り品のかぼちゃを追加で買うのみでレジを通る。ヨメも昨日から調子があまり良くないようで、朝、最後の一本の栄養ドリンクを飲んでいたため買い足しにドラッグストアへも行く、ここでも煩悶するが他のものは買わずに帰宅。

するとすぐに保育園のお迎えの時間である。ほぼ無為に過ごしているような気がする。

その理由は、いよいよ来週採用試験が迫っているからであって、そこでは小論文試験がでるのだが文章を書く練習をしてないというそのことが頭のどこかで追っかけてくるので焦りの気持ちが出てくるのだ。

ということで、ようやく翌日になってこの昨日付けの日記を記しているというところ。

4/7 文學界

平民金子さんのメルカリ日記を手にすることができなかった。

スマホに出品されましたと通知がくるのだけども、ページへ向かうとすでに売り切れてしまっているということがなんども続いてしまい結果手に入れられず。こちらが勝手に自分はコアなファンだなどと思い込んでいるだけで、世間的にすでに売れっ子である氏の文章は値千金の価値があるとみなされているのだろう、よって自分ごときものには手に入らないのである、なければなくてなんとかなるのだ、と諦めようと試みることにした。

 

勝手に売れっ子であると思い込んでいるのだけど、ツイッター平民金子さんが文學界に連載を始めるという記事を複数見かけたのででは買いに行こうと出かけることにした。まずは一番近所にある本屋に出かけてみたが置かれてない。文芸誌は焼津市の文芸やいづが平積みでもっとも多いようで後は2、3誌程度しかない。やっぱり思った通りかと次の店へと自転車を漕ぎだす。さすがにおそらく市内で一番本の量が多いだろう書店で文學界が3冊ほど平積みになっている。一冊税込1150円。ちょっと高いなあと思いながらもレジへ。すると1149円ですと1円お釣りを返してくれる。レシートにも税込1149円と記されている。平民金子さんの金銭的呪術効力なのだろうか。なんだか不思議な気持ちになりながらも、さてどこで読むかと考えつつ、隣にスーパーでパンなどを買って再び自転車であてもなく街を走りだす。

 

おっさんが昼間にいてもいいような神社や適当な公園はないかとギコギコと漕いで行くのだけども神社にはベンチすらない。焼津の端になる瀬戸川ぞいの公園の端っこにようやく東屋風の場所を見つけてそこで弁当と文學界を使うことにする

 

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子どもを育てたい場所と自分が住みたい場所、場所というよりも環境というべきだろう、その環境について同じことを思うなあと、それ以前に求職中の保護者では子育てどころではないなあなどと思いながらも、さすがにいい文章だなあと感心しながら、目の前をときどき通り過ぎるおじさんや貨物電車の姿を見ながら3pほどのエッセイを読み進める。

 

買えなかったメルカリ日記は1200円だった。金額だけの比較ではこちらの方が安くついたと思えば他の小説なども楽しめて得したといえるなと考えるが、やはりこの文章を書いた背景的なことが日記に書かれているのではないかと、それも知りたかったと思うと日記は買えなくてもよかったとは思えなくなってしまった。

エヴァンゲリオン

宇多田ヒカルの「One Last Kiss」の画像は庵野秀明氏が監督を務めた云々との注釈文を読みながら、見てもいない映画のことを思ったのだけども、20年以上前の学生時代に友人の友人程度の男が「いままでのアニメに出てきた中であんなに気持ちが悪い主人公メカがあったか」という名言しか覚えていない程度で、つまりはほとんど見ていないわけだ。とはいえ、清水折戸から静岡七間町の東映映画館まで出かけて映画をみた。本編が終わって、次回作の予告で裸をみて思わず興奮してしまい病室で自慰行為にふけってしまう主人公の出した精液を大きな画面で眺めていると、その気持ち悪い造形のロボット(ロボットですらないことがテレビ版で話されていたわけだけども)の量産型が空から大量に降ってくるところで、「乞うご期待」と場内は明るくなり現実に戻ると、終電は終わっており清水へ帰る術を失っていた。なんとか頑張って静岡から草薙あたりまで歩いて、結局タクシーをどうやって頼んだのか、それで帰ったのだった。

自分のことをだらだら書いてしまったけが、その宇多田ヒカルさんの曲の注釈解説を読みながら思ったこととして、エヴァンゲリオンがここまで続くとは思うこともなく1995年1月17日に命を失った誰かが大勢いたのではということを考えたからだ。時系列がおかしいのかもしれないが、2011年3月11日の出来事のことでも同じであって、その時に命を失ったあの人たちは、いま我々が語る新エヴァンゲリオンの話を聞くことすらなく、旧解釈のまま人生を終えているという、当たり前なことを思わされたからだ。僕個人はまったくエヴァンゲリオンを見ていないに等しく、その映画、漫画から起きている世界観についてかたることは何も持っていない。ただ、それについて語る時に、常に忘れられている誰かがいることに、いまさらではあるのだけども、気がついたこと、このことは、やはり、私にとっては何か考える時には、たいてい引っかかりになることが多いなあと改めて気づかされた。

曲そのものではなく、その注釈が自分の認知について気がつくきっかけになった。

帯状疱疹になった

 なんだか頭の後ろがぴりぴりちくちくと頭痛とは違う痛みがあるなあと思いながらもそのまま2、3日過ごしていたが日曜日の朝にどうも体もだるくのでこれは病院にいってみようと思い立った。かかりつけ医を持っていないのでとりあえず以前にインフルエンザの予防接種でかかった内科を初診だけど受けてみようと電話をかけてみた。すると、病院についたら車からまた電話してくださいとのことで、だるいところを押して車を出した。

 だるいなあと思いながら、「あの先ほど電話した〇〇ですが、今着きました」と電話をかけるとしばらくして看護師さんが出てきた。その姿をみて驚いてしまった。顔はフェイスシールドで白衣の上には簡易ではあるけど防護服を着ているのだ。そこまでひどいのか、さすがにコロナではないと思うけど、でも分からないからここまでしているのだろうと考えているとなんかすこし気分が楽になってくる。診察室へも裏口というかゴミ出しの出口みたいな場所を通って入っていく。

 先生も防護服を着込んで出てくるのだけども、「少しだるさもあります」と伝えると「95」と最高ランクのマスクを看護師に要求する。僕はコロナなのかとちょっと焦ってくる。診察が始まって、改めて症状を伝えると、次第に医師の表情がなんだよと言ってるように見えてくる。「喉のあたりも少し痛いです」と伝えるがその時には、もう触診の手が大雑把になっている。そのおかげで、ああコロナではなく単なる風邪的なものなのだろうな、先生すいませんねえと謝罪しなければいけないのではないかと思わされた。結局、いまの病名など伝えられることなく、薬出すので飲んでくださいで終わった。薬局で薬の説明を受け、抗生物質と喉痛の薬がでたことを知った。

 

 翌日月曜日はまあゆっくりしておこうかとのんびりと、午後は会社に退職の手続きに出かけないといけないのかとがっくりしながら過ごした。

 火曜日は健康保険に年金に子どもの保育園の手続きなどで役所めぐりをしてから、やっぱりどうも頭が目の奥もいたいから別の病院に行ってみるかと午前中に診察を受けようと大きな病院に行って、入り口のコロナ検問のところで「頭がいたくて、特に目の奥が痛くて、ちょっとだるいんですが何かに行ったらいいですかね」と尋ねると、そこにいた女性に「あ、それ、帯状疱疹だよ」と言われる。

ネタバレ 感想メモ

妄想代理人というアニメをたまたま知って見始めた

昨日の晩に最終回前までみたので、最終回を見るまでの感想のメモを書こうと思い立った。

少年バットというまったく謎の殺人者がやってくるという噂が次第に現実世界を蝕んでいくその表現方法とストーリー展開がよかった。見続けていくうちに一見関係なさそうな登場人物たちが何かの線でつながっていることを知ると、そこを面白いと自分には感じられ興奮するところだ。

話はとにかく意外な方に進んでいくのだけど、今時点での感想まとめとして

12話まで見ていると1話目のことを忘れているよね、と作者からのささやきが聞こえたような気がした。最初に、追い詰められているすなわち、なかなか仕上がらないキャラクター新作の納期を、客先から来たの電話回答であと1週間とされてしまったことがこの事件=話を生み出しているんですよ、と。

起承転結の転の部分の頃には、そんなことは確かに忘れて、少年バットというものが、今でいえば新型コロナウイルスのようにあちこちへと拡散している様子に気を取られてしまっていた。

 

もうひとつの感想は、是すべて作家、製作者側の妄想のお話であり、私たち(視聴者)はそれを見させられているだけ、作家はお見せしているだけで、現実的なものに見えるかもしれないけど、この話自体、幻であって本当のことでもなんでもない、でもここにあるんですよ、それが創作なのだということを伝えているのだ。

 

2004年2月開始で衛星放送局から配信されたテレビアニメなのだけれど、いまの自分の気持ち気分を見透かされているような感じで怖くもあり興味深くみている。私の2004年はまだこのブログを書いてはいない時期でたぶん、介護の仕事を始めた年だと思う。17年前の記憶はあまりないにもかかわらず、このアニメで描かれている光景は見覚えがあるようなマチで記憶はいい加減なものだと思わされる。

 

 

頭痛の土曜日

6/6の土曜日は終日頭の奥、目の奥にずんずんと痛みがありすっきりしない1日を過ごした。午前中は会社の水まきにでかけ、大きな本屋にて母の友を購入、パン屋へ行きサンドイッチとフランスのパンを買って帰ってきた。子どもも一緒にでかけた。妻は別行動で病院へ先日の診断結果を受領しに行っていた。

午後はなにをしたかしら。1時間ほど昼寝をしたけども頭はまだ痛く、4時過ぎにようやく子供が昼寝に入ったので、妻は服屋と本屋へでかけた。ドラえもんが始まった頃に、子どもは泣き出して起き、「母はいま買い物に出かけたよ」と伝えると「あ^^^」と叫ぶがすぐに寝たのかボ〜っとしてしまった。5分ほどして妻が帰宅したがそのまま横たわっているので「ちょっと買い物にお菓子屋さんとかいくけどどうする?」と聞くと「いい。」「いかない」とのことで、目玉の奥がずんとするまま、外に出て和菓子屋へでかけた。お菓子屋を二軒回って、ホームセンターのPへ向かう途中のお寺の駐車場に屋台が3軒でているのでその場で家に電話をして子どもを引っ張り出してみると「いく」とのことでしばらく待つ。洋食屋、ピザ屋、焼き鳥屋の車が並んでいるだけなのだけどもお寺さんというのはやはり土地を持っておりそれは何にも増して優位的なものだなあと思いながらも、門前町というものはこうやってできていったのだろうなど考えて、何を買うか尋ねると「ピザがいい」とのことなのでピザを買っていく。今日は全部ハーフサイズになってるんです、ということで1枚ではなくマルゲリータ2枚購入で800円。続いてPで洗濯用具などを購入して帰宅した。

なんとなく頭痛は取れた気もしたがなんとなく残っているようですっきりしないまま夜10時を過ぎたが子どもはまだ寝ず、妻は腹痛で苦しんでいた。

毎日できない人間

人間には二種類のやつがいる

毎日日記をつけていられるかできないかだ

 

5月の記憶がほとんどなくこの日記を書き出している

日々、たいした仕事ではないのだけども、なかなか大したことで、今日が何日何曜日なのかほとんど意識できないままにただただやり過ごしていくことだけで日々を送っている。

 

4歳になるこどもが先々週なので5月半ば頃から見えないところでなにかをすること、うそをつく前段階てきなことが上手くなりだしてきた。

思い返すとおそらく5歳の頃自分も父にうそを激しく叱られた記憶がある。水疱瘡か何かの病気の後で薬を毎日飲まなければいけないのだけども、苦くてのみたくない。母親に「向こうで飲んでくるから見ないでね」と隣部屋へ行きサッシの隙間に薬を流し込んでいた。何日かたってから(今思えばのんびりした母親だ)悪事が露見。戸を開けるときになんかベタベタするということで発覚したと記憶している。そして父が登場しブルルルルルというような脅しオノマトペで怒鳴られたのである。

 

隠れていく何かをこっそりと行うところは遺伝したようで、ほぼ毎日「ちち、こっち見ないで」と子どもにいわれる。「何するの?」「みないでっていてるでしょ!」「バナナ持ってるじゃん!いつのまに。あれそのぶどうジュースはどこから出したの?」「(引き戸を閉めて向こうの世界に消える)」

見えなければ大丈夫という感覚だけはどんどんと鍛えられている。