港区は燃えているか

児島は燃えているそうです


曰く、何もない街をなんとかしないといけない、と立ち上がった人々がいた
彼らは自分達の仕事である縫製、特にジーンズ作製を街の目玉にしようと戦いだした
苦節云年、いまでは彼の地はジーンズのメッカとなりそこで生産されたジーンズは
海外で高い評価を受けそれによって日本でも高い評価と地位を築きあげたのだ
始めは一部の人だけだったかもしれないけど、今では街をあげて
ここはジーンズの街だといえるようになったのだそうだ


翻ってここ大阪、大阪市港区はどうか
ベッドタウンの町でもあるので産業があるわけでもない
団地に入って30年から40年が過ぎ当時の若者も今では高齢者と呼ばれる世代になった
いろいろな団体がいろいろな活動をしているのだけどそのほとんどが高齢化し
下の世代がいないため活動が辛い団体が目立つ
では新しい人に任せるかというと、やはり自分がやってきたんだというプライドが
非常に高いため、新規参入が厳しい


新たに来た人や若者層は
住んではいるけど、この街になにか意味があると思っているわけではないので
街に興味は皆無、遊び場もないけど創れるものでもないしコンビニにたむろするしかない
部屋は団地で狭いから・・・今時の田舎でもこんな光景は見ないと思うような区内のコンビニ風景


以上はやや偏見がはいってますが当たらずとも遠からずだと思っています


じゃあどうするか
僕ができるのはワーワーいうことだと思ってます
何だエラソーにと言われるのですが、でもこれが出来ることです
やっている人達の話を見て聞いて、それでそれを外にも中にもワーワー言う
伝え役として微力ながら努力をしていきたい