大仏鉄道探索のこと 妄想の明治編

大阪川口に回漕店をはじめた丹羽組の惣領丹羽三重吉は関西鉄道開設話にも飛びついた


すでに明治23年に伸び始めた線路は28年には名古屋から柘植までつながっていた。
つづいて大阪へも進出するらしい。
これを聞いた三重吉はさっそく会社の幹部へ会いに出かけた。


重役らの話によると大阪への道はなかなか険しいものがあるが
これまでにできた鉄道会社を買収してくことで線路を増やす、というようなはなしであった。
当面奈良まで線路を敷設すべく現在土地の調査測量を行っているとのことであった


「奈良というと大仏でんな」
「そうだがね、でも奈良駅につなげられせんのでいかんわ」
「というと」
「奈良には来年29年には奈良鉄道が入ってくるんだわ。でこまっとるんだわ。だで、木津から網島まで一直線にしようかと思っとるんだがや」
三重吉に懐かしい名古屋弁で重役は話すのだった。ふと、故郷の母や親類縁者の顔が浮かぶ。
鉄道がつながれば愛知のおふくろを呼べるじゃないか。途中で奈良見物もさせてやりたい。
応接室の机に拡げられた地図を眺めながら名古屋から奈良を経て大阪川口への道をなぞってみる。


加茂という所から山を越えれば一気に奈良へ出られるに。ここから大阪鉄道を経たら湊町、そこからは川口はすぐだがね。


「重役さん、この山を超えてみたらどうでっしゃろか」
「山越えですか、うーむ」
「本場エゲレスでは山でも谷でも橋を架けたり土手を築いてまっ平らなところを陸蒸気を走るらしいに」
「丹羽さん、三河の出だら。」
「そうだに。いやそうです、一旗揚げようと御油の街を飛び出して幾星霜。荒神山の合戦にも参加し・・・」
「それはまたで。いや、山越えですか。大阪鉄道もまとめてみるとはさすが目の付け所がちがっとるわ」


ともかく三重吉の大勝負が始まった。
加茂の田舎を札束で叩きに叩いた。木津町、山城の山また山を乗り越え、谷があればそこに築堤を築くべくに周辺の田んぼを買いあさり、築堤用の土砂のための山を買い、石場を用意し石工も用意した。
故郷に錦を飾るために、イギリスの田園鉄道をここ木津から奈良に作るのだとの思いからこその仕事ぶりであった。