豊川市こどもチャレンジまつりは2010年で32回目らしい

小学生から過ごした愛知は三河豊川市を売ったのは18才の時。
以来18年を他国で過ごす渡世人
そんなヤクザなオイラでも故郷への慕情からつい昔のことを思い出す。


ああ、
チャレンジまつりでうなぎを捕まえたかったけど
いつもどじょうつかみしかできなかった
参加券を買うのかもらうのか忘れたけども、そのための行列に並ぶことすらできなかった
純朴なこどもだったのだなあ


そんな俺もいまではツイッターなんかに手を出しているが
そこで久々に見たTOYOKAWAの文字。どうやら豊川をもっと盛り上げたい有志が書き込みをしているらしい。

そこに

@toyokawa_info 自衛隊グランドで行われていたチャレンジ祭りとかおいでん祭りとか・・・古いかw?   昔、そういうイベントに触れたことのある今の30代半ばをうまく取り込んでいく 仕掛けを考えていきたいところです
http://twitter.com/Tuvuan/status/9825653765

とつぶやいたところ

@Tuvuan チャレンジ祭、おいでん祭...どちらも現役のお祭りです!
http://twitter.com/toyokawa_info/status/9826592044

という返事。なんと。
市役所のサイトで情報を見たところ2008年度が30回目のこどもチャレンジまつりだったそうでそれならば2010年度は32回目だ。
ちょうどオレの家族が豊川市に引っ越した前後からこのイベントは始まっていたのだ。


自衛隊のグラウンドでいつも何かイベントがあってそれを見に行くのを楽しみにしていたものだ。
隣町の豊橋市での豊橋まつりに出撃もとい派遣された自衛隊の賑やかなフロートがスピーカーから流れる音楽も賑やかに
派遣先から帰ってくるとそのままグラウンドで即席のお披露目会をしていたような記憶もある。駐屯地の団地や近隣の官舎や社宅から子どもが大集合。運の良い奴はフロートに乗せてもらえた気がする。
のんきな時代もあったものだ。
ブルドーザーやユンボ、場合によっちゃ戦車を運ぶ大型トラックを艤装して亀仙人の島をつくっていたものだ。
亀仙人やブルマの今で言えばコスプレを自衛官殿がされていたようにも思う。
ドライバーは2等兵でもブルマは少尉ぐらいだったのではなかろうか


ちなみにこのカメハウス。そのまま捨てるのは惜しいとのことで、俺んチの隣りの保育園に寄贈されてた。かなりしっかりした作りで3,4,5年はもったのじゃないだろうか。屋根とかに登って遊んだ。もちろんこっそりと忍び込んでだが。


国を売った人間にとやかく言える義理はない。
けれど30年以上も続けられているその事実には敬意を表したい。
おそらく子供のときにチャレンジまつりを楽しんだ奴が
いまではスタッフとして、いい親父として参加しているんじゃないだろうか
そいつら、彼ら彼女らにも大いに敬意を表す。
まちを作っていくのはまちにいる人間なのだから


勝手を言うが豊川のことは任せた。ここから応援させてもらう。
俺は流れてきたここ大阪でまちに関わっていく。


豊川市

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