歌の力

音楽が、災害の死者を悼み被災者を癒し元気づけた事例は多い。1995年阪神・淡路大震災でもボランティアや復興基金の手でライブイベントが数多く実施された。ここでは、チンドン楽器と「復興節」を携えて被災地に向かった東京のロックバンド「ソウルフラワーユニオン」と、彼らの曲「満月の夕」をカバーした被災地神戸出身の青春ロックバンド「ガガガSP」の活動及び神戸市の小学校教師白井真が作詞作曲し、ミュージカルや合唱曲となって小中学校に広まった楽曲「しあわせ運べるように」を、災害体験を伝承する事例として特筆しておきたい。
なお、震災前1919(大正8)年16歳の添田知道は、丸の内などを歌った「東京節」(パイノパイノパイ)を流行させた。これを復興期の「東京行進曲」(1929(昭和4)年、詞西條八十・曲中山晋平)と比べると、曲調・場所の違いは興味深いものがある。さらに、被災者を元気づけた演歌師という職業がラジオ開始により終焉を迎えたことも歴史の皮肉として留めておきたい。

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月1923 関東大震災【第3編】