2009年に書いていたもの 「ミナパラ」

ミナパラ

僭越ながら僕が港娯楽(パラダイス)新聞、通称ミナパラの文章を書かせていただきます。
港区には、みなと新聞、みなとQとミニコミがある中で、「異世代・異文化交流」を旗印にミナパラを神木、ハラダ、田中が創刊したのが2006年1月。
創刊時の僕は1記者としての参加でした。その後いろいろあって編集部3人衆の1人となりました。
2005年の7月にあった港区地域福祉アクションプランの講演会などや区役所絡みのイベント情報をmixi経由で発信していたのが編集長の目に入ったらしく、社会派ネタで書いてほしいということで「パブリック広場」というコーナーを受け持つことになりました。
 「武威に屈せず富貴に淫せず・・・」という滑稽新聞を書いていた宮武外骨にあこがれていたこともあり、行政がらみのイベントなどの情報を書いたりしていたのですが青臭い書生論などを書き散らすことが多かったと思います。その結果、当時の区役所の地域担当課長に呼び出され居酒屋で事情聴取を喰らったのもいい経験です(ごちそうさまでした。)
新聞によくある3行皮肉コーナーのような反行政的なことばかり書いて今ではセンスも何もなかったと思ってはいます。
 予想外なことに、ここ2年の内、港区役所内での市民協働の高まりが担当の方々にミナパラを受け入れてくれる素地を造っていました。ですが、いろいろとありまして今年4月に一度ミナパラは休刊という道を選択しました。そうなると皮肉というのか「ミナパラ休みなんて残念ですね」と区役所から言われるようになっています。
 勝手に始まり勝手に休む、こういう動きができることが一番いいと思っています。区役所から頼まれて書いているだけではただの行政の新聞ですから。天網恢々粗にして漏らさずといいますが、人間のやることは粗な網でしかないそこから落ちるものを拾う何かがあってもいいんじゃないか。それがミナパラだったと思います。
(敬称略)