2009年に書いていたもの 「渡船」

渡船

天保山に船が着く。小さな渡し船は安治川を行き交う様々な貨物船や無骨な艀に比べるとポンポン蒸気のような可愛らしさがある。
天保山から此花区桜島まで30分間隔で渡船は運航されている。元旦以外は台風などで海(実際は安治川の河口なのだが役所の管理上では海なのだ)が荒れない限り運休しない。対岸までは400m乗船時間は5分にも満たない。
「ありがとう。おおきに。ありがとうございました。」渡し船から降りてくる人は誰に言われるでもなく素直に船員にこの言葉をかけて降りて行く。
過去には50人以上が亡くなるという事故があったり、目の前の海では遊覧船と艀船の衝突沈没事故で小学生が亡くなったり水上の危険とも常に隣り合わせである。
けれども乗客の多くははそんな過去の事故など知らないだろう。過去の事故から深まった安全意識、対策の上に今日の安全航海がある。
そんな少し斜に構えた僕の前を、渡船の乗客たちはごく自然にお礼の言葉を発して次々と船を降りそれぞれの目的地へ去って行く。挨拶がぎこちないのは観光客だろうか。USJのスタッフらしい西洋人も片言のアリガトを残して自転車で去って行く。
東洋のマンチェスターと呼ばれた大大阪時代から働く人々を文句も言わずに渡し続けている渡し船。働く先は工場から娯楽施設になり日本人ばかりでなく多国籍の人々を、働き手ばかりでなく観光客も同じ船に乗り合う姿はまさに呉越同舟である。