2009年に書いていたらしい 「パセノン(築港にあった船員バー)」

2009年にこんなの書いてたようです。

パセノン(築港にあった船員バー)

 学生時代の友人とその扉を押したのはもう10年ぐらい前だろうか。記憶が不確かなのは飲めない酒を飲んだからだろうか。まだ大阪に来てそんなにたってない頃のはずだ。
 友人は名古屋勤務だが大阪出張を幸いナンバをブラブラしあげく、「丹羽ちゃん、ボラレタさー。大阪にいい店ってないらー」と僕の下宿で愚痴っていた。そのゲン直しとして、二人とも飲めないのにも関わらず、何故か築港のバーに向かうことになり、妖しいネオンの輝くこれまた怪しげな扉をそっと押したのだった。ひょっとすると「もっとボラレそうな店がある」とか言ったのかもしれない。けどその前に一度その扉の向こうを見ていたような記憶もある。
 ある種の勇気を持って扉を押し中に入ると暗い店内、カウンター越しにSF映画の妖怪にも似たママらしき人がこちらを見据える。
「あーら、○○さん。ようこそ」(○○は外国人みたいなジョージとかアランとか)そんなことを言われたはずだ。
「キャッシュオンで1000円、これツマミは500円、だからまず1500円払うのよ。」と先制攻撃を喰らったように思う。
モスコーミュールとスクリュードライバーといった下戸向きなカクテルを頼むとそれをママが作ってくれたのか奥にいるもう1人のお姉さん?らしき人だったか。
「はい、○○のおチンチンに乾杯」とか言ってグラスが出てきたはずだ。まあとにかく会話のまにまに下ネタがデコ盛りだった。「あんたのチンポ食べたいわあ」などと直接的下ネタで静岡県人の友人を攻撃。友人は負けずにナンバでボラレた話などを繰り出していたようにも思う。
 すると「昔はギリシャの船員に女の子を紹介していたのよ。彼らはすごいわ。ここの上も貸していた。お兄さんもどう。この辺りは全部バーだったのに。お金もたくさん使ってくれる。船員と言ったらギリシャ。女の子呼ぼうか。最低はどこどこの国。でもまだ△△とかが来たりするのよ。」下ネタ混じりの会話の中に天保山の歴史の証言が盛り込まれており港区新人の僕には大変勉強になった。しかしどこまでが本当の話なのかは判然としない。下戸なりに飲んで頭痛を得て帰って来たから記憶すら怪しい。
 この文章を書きながら以前紹介されていた雑誌(ミーツ)を見ると記憶とまた違うではないか。2,3回通ったはずだがそれすら記憶が不確かになっている。ネオンの色や扉の具合、押すのか引くのか。すべて記憶の向こうに消えてしまった。
 パセノンは数年前、ネオンがついていない日が続いているなあと思ったら、しばらくすると建物が解体され築港から完全に姿を消してしまった。事情通はいろいろと掴んでいたようだが。一見客の僕には何も分からないままだった。
 かつて天保山でいきずりの恋を咲かせたギリシャの船員の記憶には、果たしてパセノンのネオンの色は残っているのだろうか。パセノンのネオンはOUZOとギリシャの酒の名称が掲げられていた。水をいれると白濁する変わったリキュールなのだ。なんとパセノンにふさわしいのだろうか。「船員達のもあなたのも皆の白濁汁を飲み尽くしたいわぁ」とママの下ネタが聞こえてくる。