ごろごろの次はトコトコ

とこちゃんはどこ、というかこさとしの絵本がお気に入りだった、はず、そうだと思っている。幼少期から小学生半ば頃までもこの絵本は好きだったと思う。ウォーリーを探せのように群衆に紛れていなくなってしまった主人公を探すという絵本だ。とこちゃんはどこへでも”トコトコトコトコ”と行ってしまうからとこちゃん。この文章はうろ覚えで書いているので絵本の内容と記憶が違うことについてご勘弁いただきたいのだけど、とこちゃんは近所の市場やおでかけした百貨店でいなくなってしまう、市場ではたい焼き屋の前で指を加えて美味しいそうだなあと立っているところを見つける。いま思い出してもたい焼きがすごく美味しそうに思えるしたい焼き屋というものがあるのかと感心していたのではないか。僕の周りにたい焼きだけを売っているお店はないな、と思っていたように思う。確かに豊川市金屋にはあまり店がなかったけど、今いる焼津市も負けてはいないが、なぜかたい焼き専門店は複数ある。本題にしたいのはたい焼きの話ではなくて、いま全国の地域おこし協力隊が嫉妬の炎を上げすぎて焦がすものもなくなってしまっていると推測される神戸市広報コラム「ごろごろ、神戸2」の続編タイトルについてなのだ。タイトルのごろごろというのはベビーカーを転がして小粋に時には子どもの行きたい先のオーダーを通し涅槃にまで到達するそんな時にも地面を蹴っていくベビーカーのタイヤから流れるビートのオノマトペ”ゴロゴロ”から来ているのだけど、コラム筆者平民金子氏のお子さんがベビーカーを卒業された暁にはとこちゃんのごとく、とことこになるのではないかとコラム連載期間が4分の1過ぎたとのツイートを見てそんな音を思い浮かべた。さて我が家の子どもも何も起きなけらば来月に2歳になる。トコトコ歩くかと思っていたけど、ド〜ンドーンと怪獣のような、考えようによっては大地を鎮めるべく四股を踏む横綱のような歩き方が多い。こちらは田舎なのでベビーカーよりも車と自転車に乗ることが多く、ゴロゴロとベビーカーという荷車に子どもと自分の人生を積んで運んでいくといった風情はない。ブッブーのチャイルドシートにカチッと子どもを固定してブッブーと出かけていくのは大変便利であるのだけど子どもからのどこへ行きたいというオーダーには答え難い。ふと目にした公園や庭先の木の前を飛んでいく蝶を捕まえようと手を伸ばすような子どもの自由さはごろごろとベビーカーを押す押し屋の仕事にしか生まれない。