写真展 コミカル&シニカル 31日まで

金奎植 KIM, Gyoo Sik(1972-)〈媒介者:シャーマンの相貌〉
http://poolphoto.exblog.jp/4644071/

宴会でお話をさせていただきました。
ものすごくくだらない話ばかりしていました。
お互いウーロン茶を飲みながら。
Gyoo Sik「君はいくつなの?」
tuvuan 「32です」
Gyoo Sik「えええええ」隣の人に「あいつ32だって!」
一同 「えええええ!、若く見えるぞ!」
tuvuan 「苦労知らずだから(冗談である)。英語でなんていうんですか」
tuvuan 「easy life. job three days in week!」
Gyoo Sik「Oh、easy life face.You Looks like student」


さて、Mr.Gyoo Sikは「カンシンム」と呼ばれる韓国でも飛びきりのシャーマンを撮影している。今回出展された作品は女性のカンシムンだけだが、男性の写真もある。どの写真も盛装をしてこちらをじっと見えすえている。

カンシムンは韓国のシャーマン、ムダンの中でも神が本当に憑いて様々な働きかけをする日本では依代(よりしろ)といったほうが分かりやすいのではないか。カンシムンの中には、床に敷き詰めた刀の上で踊り狂い神からの啓示を与えてくれる者もいるそうである。


カンシムンに祈祷やお払いを頼む時には、依頼者は
彼、彼女たちが見つめる視線を逆に遡ってその先に神を見ているのだ。
恐らく、祈祷が始まって踊り狂ったりしてしまえば、こちらからカンシムンの目を遡ることなどできなくなるのだろう。
一方通行になった視線の上を依頼者は神が降りて来るのを見ているだけになるのだろう


ひょっとすると昔のご真影のように「神来者」であるカンシムンと顔を合わすことなどとんでもないことなのかもしれない。
魂を抜いてしまう写真機の前に立つことも実は禁忌なのかもしれない。


そうだとすると、この作品の隠れたテーマは作家とカンシムンの関係であるということになってくる。
お互いが相手を見据えたうえでのある種の秘密の作業の結果が一連の作品に実は隠されているのだ、と考えると奥が深くなって面白い


顔を撮っている写真家に自分の顔のことを指摘されたので、そのことだけでものすごく楽しくなりました。だからこんな文章も書いてみようと思ったわけです。


写真展コミカル&シニカルは1月31日(月曜休み)まで
大阪市 天満橋駅から徒歩7、8分 ドーンセンター地下プール跡にて
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