しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ

セミの鳴き声はみーんみーんみんみーんと三河弁の語尾のような声だったと思うのだけど、大阪に来てからはしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃの声ばかり聴いていた。静岡焼津に引っ越してからどうか。去年のセミの声は覚えていないことに気がついた。鳴いていたとの記憶はあるけど声の覚えがない。それだけバタバタとしていたからなのかしら。去年の7月に子どもは風邪の治療に出かけたはずの土曜日夕方の病院トイレでおむつを替えている間にけいれんを起こしそのまま入院してしまった。セミの声よりも混雑した、何しろ狭い、救急待合には静かな呪いの音が低音で沈んでいるような感じだった。引きつる子どもを先生がトイレから救急診療ベッドへと連れて行ってくれる間になんだか怖い視線と聞こえない声を聴いたような気がして思い出すと少しいやな気がするけども、今作った思い出の声かもしれない。幼少のころ、小学生の間住んでいた家は市の住宅すなわち公舎で道路を挟んで向うには官舎、こちらは自衛隊駐屯地の方の為のものが立ち並んでいた。平屋の戸建てが数十、団地が6棟だったか。幹部クラスの方のお家は平屋で庭付きだったと思う。その宿舎、そう宿舎というのだね、の周りをぐるりとポプラの木が取り囲んでいて夏には緑の葉が今思い出すとなかなか涼しげなカーテンとなっていた。そこで鳴いていたセミの声はみーんみーんみんだったのではないか。セミといえば羽根の茶色いアブラゼミばかりだったと思う。その中に、小さなツクツクホーシもいてそれを捕まえるものはある種の尊敬の目が注がれていたように思い出す。こぉーーーお、と換気扇が回る音だけが響く今の職場でも耳の中ではポプラ並木に響くみーんみーんみんを聴くようにしている。