つっか〜 あまいか うまいか すいか

7月末に生まれて初めてすいかを食べた子どもは次の日からごはんのたびに「す〜か、つっか〜、すぅ〜か」と声を上げるようになった。朝も昼も夜もテーブル付きの赤ちゃん椅子に座ってごはんを終える直前、ちゃわんにスプーン二すくいぐらいのごはんだけが残ったところで、右手を向き、その視線の先に見える冷蔵庫を指さし、「つっか〜、すぅっか〜」まれに「すぃ〜か」、「あ、スイカって言えたねえ。」
ファーストすいかの衝撃は子どもの味覚神経と脳へ深い刺激を与えてしまっていた。昨日は義母からもらったメロンといってももう熟れきっていて早く食べないとまずいというものだったけども、そのメロンを食べても「すうか」発言が飛び出すほどだった。クマのイラストの描かれたテーブル付き食事椅子に座って魔法のことば「SUIKA」と唱えれば、シャクシャクして冷たく赤く甘いすいかが出てくるとの思い込みと刷り込みはあまりにも深い。長い事続いているなあと、この文を書き始めるまで書きながらも思っていたけども、数えてみると2週間ほどしかたっていない。その前2、3か月はゴマが流行っていたのだけど、「ゴマ」とは言わず「う、うん」とはやり冷蔵庫を指さすだけだった。それから思えば自分のしてほしいことを、動作と言葉で表現できるようになったことは成長の証なのだな。長く続いているように思っているのだけど気が付けばあの時だけのことだったとなるのだろう。
ファーストインパクトすいかについての写真を撮り忘れたのを悔やんでいる。

曜日感覚

まったく欠落している。仕事がなかなかにしんどいせいか。土日を待ち望んで日々を流している。土日になると完全に仕事のことは考えていないので日曜の晩に子どもと風呂から出たときや布団にもぐる瞬間にああ、明日は出勤しなけらばいけないのか、と深い憂鬱を得ている。今日はとうとう自分の発言が曜日を間違えていることに気が付かずにいてしまい、正午からブラウザをカタカタと更新しまくり、あげく、とうとう休載になったのではと期待を込めた不安を感じていたのだけども、ようやく3時頃になって今日は水曜日ではないという厳然たる事実と向かい合うことになったのだった。日付に関しても不感症になっているようなのでこれははやくにボケるな。対策はなさそうだけどもとりあえず要らない、実際必要はなかった手帳を久々に買って毎日何かを記録することをしようと今さら考えている。さてどこで買えるのだ。

メディア

ツイッターがすべてではないけどメディアですというわりにフォロー、フォロワー数が少ないのを見てしまうとなんだかがっかりしてしまう。偉そうなことをいえる身ではないのだけどもそれにしても少ないな。Facebookでは1500人がいいねをしているようでそれに比すると3桁ないということはツイッターをするような人はその発信元には集まらないというだけのことなのかしら。

鈴鹿サーキット

♪すずかさ〜きっと〜ぉ〜というCMのジングルだけはよく覚えている。夏休みに在所へ行ってさらに鈴鹿サーキットへも行けるということは大変に喜ぶべきことだった、はずだ。とはいっても鈴鹿サーキットで遊んだことは5回もないのではないか記憶をたどってみるとそういう結論になるようだ。自分だけで運転できるそしてスピードも出せるゴーカートが気に入って何回も乗せてもらっていた。なにしろレールが付いているのではなくまったく自分だけで運転できることが楽しかったし、ゴールについたとき、といっても環状コースだから元の場所に戻ってくるのではあるけども、前にいる車にゴンとぶつかる衝撃が楽しかったのではないか。そのゴンとぶつけられるのは別のものだったかもしれないけども、衝撃を反芻している。
そんな事故発生遊具ではなく、おしとやかなものも鈴鹿サーキットにはあった。白雪姫と七人の小人的な世界を巡る乗り物だ。それはディズニーランドではないかと記憶がごちゃまぜになっているようにも思うのだけど思い出したままに書いてみる。ネットで検索したら分かるのだろうけども分からないままにしておいたほうが楽しい。お城の中に入って乗り物にのってぐるりと楽しい世界を見て回る。母は涼しいしゆっくりできるからこれが好きだと言っていた、はずだ。小学生以前の妹達とぐるぐる乗っていたと記憶する。お化け屋敷的に怖い箇所もあったように思うけどもどうだったか。同じような遊具・アトラクションは宝塚ファミリーランドにもあったはずで結婚前に妻とやはり小人の世界をぐるぐると見てきた。
鈴鹿サーキットにもあり宝塚にもあったこのアトラクション(というのか遊具と呼ぶのか)、源流をたどれば、のぞきカラクリや日清日露戦争大パノラマ、掛け軸の地獄めぐりなどに行き付くのだろう。参加するわけでなく唯々目の前に拡がっていく光景をのんびりと眺めて終点につくまでにはそれなりに楽しい思い出をつくるというこのアトラクション。遊園地で無心に遊ぶというようなことが無くなってしまいはや30年。無理に学がありそうな話にくっつけようとしてしまうおっさんになるほど時は経ってしまっていた。

ネットで日記を書く

『三年四年五年たてば、当時の自分なんてアカの他人みたいなモンなのです。昔かいた日記というのは、アカの他人の心象風景です。』

http://d.hatena.ne.jp/heimin/20070731

『だから今日、日記を書いている。5年くらいたって、見返したらおもしろいと思うから。』

http://d.hatena.ne.jp/heimin/20100711
平民新聞より。


自分の日記を振り返ってみた。脳ミソ湧いてるやろという言葉をかけるしかない。数日前からのものと合わせて読み手がいるかもしれないことを意識していない文字の羅列ばかりだ。この11年間なにをやってきたのかこの筆者はという感慨しかない。
最近の日記(とはいえ、すでに4年も経っている)は、大阪中之島で受けていたライター講座の宿題を載せているのでまだ読めるほうだ。土佐堀川端に新しくできたおしゃれな建物の一室で多くの同期生に囲まれて文章について切磋琢磨したあの夏と秋と冬。だったか。

ごろごろの次はトコトコ

とこちゃんはどこ、というかこさとしの絵本がお気に入りだった、はず、そうだと思っている。幼少期から小学生半ば頃までもこの絵本は好きだったと思う。ウォーリーを探せのように群衆に紛れていなくなってしまった主人公を探すという絵本だ。とこちゃんはどこへでも”トコトコトコトコ”と行ってしまうからとこちゃん。この文章はうろ覚えで書いているので絵本の内容と記憶が違うことについてご勘弁いただきたいのだけど、とこちゃんは近所の市場やおでかけした百貨店でいなくなってしまう、市場ではたい焼き屋の前で指を加えて美味しいそうだなあと立っているところを見つける。いま思い出してもたい焼きがすごく美味しそうに思えるしたい焼き屋というものがあるのかと感心していたのではないか。僕の周りにたい焼きだけを売っているお店はないな、と思っていたように思う。確かに豊川市金屋にはあまり店がなかったけど、今いる焼津市も負けてはいないが、なぜかたい焼き専門店は複数ある。本題にしたいのはたい焼きの話ではなくて、いま全国の地域おこし協力隊が嫉妬の炎を上げすぎて焦がすものもなくなってしまっていると推測される神戸市広報コラム「ごろごろ、神戸2」の続編タイトルについてなのだ。タイトルのごろごろというのはベビーカーを転がして小粋に時には子どもの行きたい先のオーダーを通し涅槃にまで到達するそんな時にも地面を蹴っていくベビーカーのタイヤから流れるビートのオノマトペ”ゴロゴロ”から来ているのだけど、コラム筆者平民金子氏のお子さんがベビーカーを卒業された暁にはとこちゃんのごとく、とことこになるのではないかとコラム連載期間が4分の1過ぎたとのツイートを見てそんな音を思い浮かべた。さて我が家の子どもも何も起きなけらば来月に2歳になる。トコトコ歩くかと思っていたけど、ド〜ンドーンと怪獣のような、考えようによっては大地を鎮めるべく四股を踏む横綱のような歩き方が多い。こちらは田舎なのでベビーカーよりも車と自転車に乗ることが多く、ゴロゴロとベビーカーという荷車に子どもと自分の人生を積んで運んでいくといった風情はない。ブッブーのチャイルドシートにカチッと子どもを固定してブッブーと出かけていくのは大変便利であるのだけど子どもからのどこへ行きたいというオーダーには答え難い。ふと目にした公園や庭先の木の前を飛んでいく蝶を捕まえようと手を伸ばすような子どもの自由さはごろごろとベビーカーを押す押し屋の仕事にしか生まれない。