回らないお寿司

焼津に住んでいても寿司屋の暖簾をくぐることはまずない。

ある人もいるのだろう。義父は夜な夜な近所の寿司屋に通い常連として他の客を引き連れ海へ山へと駆け巡っていたのだ。義父亡き後10年ほどたつが伝説の人としていまだにその店では語られている。とはいえそんな人はまったく特殊な人間である。そういう金は言葉の力によって家族ぐるみのお付き合いが続いている。とはいえ毎日寿司屋へ通うことができるほどの収入はない。のだけれども、日々の引きこもり生活に少しでも潤いと魚の味を加えようと意を決して近所のその義父が通っていた店にでかけたのだ。ということよりも、その前の週にちびまる子ちゃんでまる子がおじいさんに寿司をねだり、花輪くん行きつけの大変高いと有名なお寿司屋さんでお寿司を頬張る姿をみていてもたってもいられなくなってしまったのだ。

お客でいっぱいかしらと思いながら店の前に自転車をとめると戸が開け放たれている。飲食店はこういう対策が必要なのかと思っていたがそんなわけではなかったらしく、こちらの顔、子どもの顔をみてすぐに挨拶してくれた。今日はあとからお客がくるからこっちいいよとカウンターを勧めてくれる。カウンターにはすでにお客がいた。

上寿司を頼み、子どもには食べたいといっていたかっぱ巻を頼んだ。そのあとでいろいろ頼んでみようかと企んだのだ。我々のお寿司を握ってくれている間に後から来るというお客がやってきた。子どもの幼稚園入学祝い会だとのこと。目の前でどんどん握られていくお寿司お寿司、巻かれるお寿司お寿司、これがカウンター席なのかと変な興奮をしながらも、頭の中で少しコロナのことも考えてしまう。お店の人はとても子供好きということもあり、うちの子どものわがままを通してくれ、いちごにオレンジを5人前ぐらい出してくれた。サービスだったかどうかは良い方に捉えた。

ちびまる子ちゃんでは、まる子の豪遊におじいさんは結局財布が耐えきれずまる子を店に残して金策に走っていくという悲惨な落ちであった。その光景が頭によぎりながらも会計をお願いすると、その瞬間に子どもは外へ飛び出していった。財布をヨメに渡し子供を追いかけ捕まえると財布も目の前に帰ってきた。思ったよりも豪遊であった。

この結果、次回寿司屋にいくことは数年間はなさそうである。

日記2020.4.9

日記をかくべしとの檄を受け

書こうと思いながらもかけず

今日もひたすら疲れる1日であった。

ここ1週間は寝る前にパソコンの前にすわることが多くなっている

ストレスはツイッターを除くこととアダルトサイトをみることぐらいになってしまった。

これじゃ、休まるはずはない

ほんとにほんとにごくろうさん

続けられるかしらん。

 

子供を保育園へと送って行った車の中でちらりとみたお母さんといっしょ。

オープニングからガラピコぷーのみんなとおねえさん、おにいさんが出ていた。今週から無観客になっていたようだ。こどもたちとの「みんな〜げんき〜〜〜」『は〜〜〜い」がなくなっているわけ。

晩にみた嵐の番組も無観客だったけども、考えようによってはお客をいれなくても番組は成り立つことを知らしめていてもうこれからはお客と一緒の価値はないこともわかった。お客を呼んで座らせて、前説をして盛り上げて帰してとかの手間賃を考えるとない方が経済的だと制作側が気がつくだろう。

気分はもう戦争から抜け出せたかしら

気分はもう戦争3だったかもしれないを読んだ
慌てて焼津谷島屋に駆け込むと平積みで5冊ぐらいはっきりいって売れ残りなのかという雰囲気で置かれていた、焦って損したなと思いながら手に取り店をぐるりとしてからレジに出す。明日はドタバタの休日になるから待合の時間に読もうと車に置いておいた

あくる朝、舞台は沖縄方面から始まり豆満港へと駆け巡り博士の異常な愛情のような幕切れで連載初回かと思って読んでいたのですこしがっかりしてしまいながらこれを描き切る体力に恐れ入った。

もともとの、気分はもう戦争の気分を勝手に思いながら読んでしまったのでなんだかモヤっとしながら、40年近く経てば3人組は続けられないだろうと後から思った。ネタバレになるけども3人はバラバラでいまを蠢いているというのが漫画の時制に取り込まれている自分を発見できる部分だった

漫画のキャラクター達はたいてい年を取らない、けども、気分はもう戦争3の3人組はいい年をしたおっさんを超えてしまっている。38年ぶりに本誌に登場とのことで手元の単行本は12刷で1982年の何月かのものだ。

キーボードを叩きながら考えてみると、3人は70近いのかと思っていたけど、しっかり計算すればまだ60前後ではないか。

ハチマキの頭はさておき、メガネの部長ぶりはなるほどだ。

一度削除したのだけど、3人とも38年間、何も変わってない。それが初見ではいやだなあと思ったのだけど、それが作者と編集者の狙いなのかもしれないなと思わされたのはつい先ほど読んだ新聞のコラムのせいだ。雑誌アクションというものがまだやっているぞと昔の読者にアピールすることが狙いなら変わってはいけないわけだ。

とはいえ、なんだか古臭いことをいまだにやってるのか、僕たちの時代はと思わされたということで何か新しいコトをやらねばという思い込みを思い込まされる。

そういうことで、昨日は病院に一泊入院し右上下の親知らずを抜いてきたのである。

【すぐにねる】

しごとからかえってゆうはん。それなりのドタバタをへておえる。すこししてふろへこどもとはいる。ふろからあがり、こどもはねるまえのぎゅうにゅうをごくごく。えほん、はみがき、えほん。でんきをけす。ねないこども。おはなし。ちちによるおおきなかぶ。ごほごほとせきこむとおちゃくれのあいず。おちゃをのみ、ふとんへごろん。ははによるおはなし、おおきなかぶ。かぶはろしあごでレプカレプカ。ばたばた、ごろごろ、だんだんとこどものかいてんがすくなくなってきたな、ふたりもそだてるのはたいへんだし、もう50だししんどいな、あれ、なんかおかしい、うんなにが、はをみがいてないな、あしたしごとか。

気が付くと午前5時。

キュウリ

キュウリ好きなうちの子ども。前世の因縁なのでしかたがないこれは業なのだ。神社にでかけ手水にいたカマキリと会話をする彼女をみるとあの時にみたキリギリスに戻っていた。キュウリとスイカも好きなのでカブトムシなるほどaikoさんは正しかった。ナホトカの港で一夜を過ごしたキュウリスキーは

甲子園バックネット裏

あの場所にリトルリーグの子ども達を座らせようと発案して実行しそして続けている発案者の話を聞いてみたい。もうあるよ、というものだろうけど。高校野球にあまり関心がないのだけど、2,3年前から始まったと僕は認識しているあのバックネット裏に子供を座らせる作戦。所属は電通さんだろうか。甲子園での高校野球をテレビで放映しているのは基本的にNHKなのでピッチャー越しにみえるあの場所に変なやつらの姿をカメラが捉えることのないようにする作戦、作戦名リトルチェアーによって放送事故発生を防ぎかついつかは甲子園に出るんだというリトルリーグで頑張る少年少女への善行によって徳を高め称賛を得る、中にはひとつの美談を作り上げようという記者も生まれるだろう。ようは大いなるヤラセであって笑い屋、泣き屋の応用編できれいなものだけをカメラは捉えるものであるという思想に則って行われる行為。プロ野球ではやらないけど高校野球ではこういった作戦をしてピョンヤンでの行進よろしくきれいなものだけを見せるから高校野球は聖域で神聖な行為なのだと評されるのだ。